BOSATSU体験談

BOSATSU体験談

不輕寺・女性その1

山岡茜音(仮名)不輕寺(福岡県北九州市)

ありがとうございます。 小倉北一連合三組所属の山岡茜音と申します。 私が昨年いただいた御利益談を御披露させていただきます。 私は法灯相続三代目で物心着く前から毎日お参詣させていただいています。御導師様から朝参詣をしなさいと言われ、開門参詣を小学校三年生から始めて、現在高校一年まで八年間続けています。 昨年の十月九日、開講一五〇年本山記念参詣に参加させていただきました。本山にお参詣させていただくのは三回目だったのですが、大きな本山にすごく感激しました。みなさんと一緒にフェリーで団参をさせていただき、楽しく過ごしました。 十日の朝、無事お寺に帰ってくることができました。ゆっくりすることもなく、私はそのまますぐに部活にでかけました。次の日も、いつものように開門参詣をさせていただき学校に行きました。その夜、夕食をお腹いっぱい食べました。しばらくするとお腹が痛くなりましたが、はじめは「食べ過ぎたのかなぁ」ぐらいにしか思っていませんでした。ところがだんだん痛みが強くなり、立てないくらいの痛みになり、吐き気に襲われました。お母さんに「御看経がたりんけよ。御宝前様からのお折伏よ。おまいりしなさい。」と言われ、私は泣きながら御看経をしました。 とうとう痛みが頂点に達して我慢できなくなったので、母に連れられ救急医療センターに行きました。病院へ向かうタクシーの中で何度も吐きそうなりました。病院へ着いたのは夜九時ごろでした。内科の先生の診断では「盲腸かもしれないが少し位置が違う気がする」とのことでした。よく分からないので次に外科の先生の診察を受けましたが、やはり「盲腸でしょう」と言われました。ところがここでは治療ができないからと言われ三萩野病院を紹介されました。 すぐにタクシーで三萩野病院へ行きCTを撮り診察を受けました。その頃の私は強烈な痛みに耐えられず、ほとんど意識がない状態でした。診察の結果「CT映像で見ると右の卵巣が腫れているから、それで痛むんだろう」言われましたが、三萩野病院には婦人科がありません。診察してくださった先生がその場で電話をしてくださり、大手町の健和会病院を紹介してくださいました。 またしてもタクシーで病院を移動することになり、健和会病院に着いたのは夜中の一時ごろでした。さっそく診察と検査が始まりました。エコーを撮ったり、注射を何本も打たっりと、次々と先生も代わりましたが、眠気と痛みであまり記憶がない状態でした。 診察結果、卵巣嚢腫という病気の疑いがあるということで入院することになりました。朝九時に再度診察を受けたところ、「卵巣がねじれていて、血が通わなくなってしまい、卵巣が腐りつつあるので、卵巣を取ってしまわないとダメだといわれました。でも若いから残せるならできるだけ残します」とのことでした。私は聞いたこともない病気にとても不安になりました。私と母は手術は次の日ぐらいだろうと思っていたところ、この状態だと早いほうがいいだろうということになり、十六時からの手術予定を十三時に繰り上げて手術することに決まりました。母はさっそくお婆ちゃんに連絡してくれ、組内連合内で手術のお助行をお願いしました。突然の手術のお助行の知らせを聞いて、驚きの中にお助行が行われたと聞きました。大変多く方が私のためにお助行くださったと聞き、本当にありがたいなぁ思いました。 突然に決まった手術に、私は不安で不安で仕方ありませんでした。母とお題目を唱えながら手術を待ちました。卵巣を取ってしまったら赤ちゃんが生めなくなるんじゃないか。死んでしまったらどうしよう。など、いろんな不安が押し寄せてきました。 定通り手術が行われ、約二時間に及ぶ手術は、御導師様のお徳分とみなさんのお助行のおかげで無事成功することできました。しかも数時間前にCTをとった時には卵巣がねじれていて、卵巣が腐ってしまう寸前だったのですが、実際に手術してみると、ねじれが元に戻っていたのです。ですから悪い部分だけを取り除き、卵巣を残すことができたというのです。本当に御利益をいただいたと思いました。やっぱり卵巣をひとつ失うとホルモンバランスが崩れて、生理不順になったり赤ちゃんができにくかったりするそうなので、有難くて有難くて涙がでました。数種類ある嚢腫のうち、私の卵巣嚢腫は皮様嚢腫というもので、胎児を作る細胞が異常に変化をして炎症を起していたのです。ですから、なんとその嚢腫の中からは髪の毛や歯、脂などが出てきたのです。さらに有難いことに、私は水分の多い卵巣で、赤ちゃんの出来にくい卵巣だったことが分かったので、右の卵巣とともに左の卵巣も一緒に治療していただけたのです。病気になったことが逆に御利益だったんだと本当に思いました。もしこのままだったら、私は赤ちゃんを授かることができない身体になっていたかもしれないのです。 手術の後は強い痛みもありましたが、お題目と御供水のおかげで早く回復することができました。おかげさまで八日間で無事退院することができました。 もう何もかもがお計らいです。もしフェリーの中で痛み出したら、どうしようもなかったと思います。楽しみにしていた本山にもお参詣がさせていただけて、さらに卵巣を取ることもなく、治療ができたおかげで赤ちゃんも授かれるようになったのです。これからも開門参詣を続けて、友達にもご信心のありがたいことを伝えていけたらと思っています。そしていつか私が結婚して子供を授かったら、私がいただいた御利益を聞かせてあげて、私と同じようにお参詣させていただきたいと思っています。 ありがとうございました。

不輕寺・女性その2

大野隆子(仮名)不輕寺(福岡県北九州市)

ありがとうございます。 小倉北五連合三組所属の大野隆子と申します。 昨年の四月ごろのことです。 家族で直方方面へ出かけていて、その帰りにいただいた御利益のお話です。 都市高速を利用するために金剛インターチェンジに向かいました。高速の発券機で主人が券を取り損ねてしまいました。そこで後部座席に娘と二人で乗っていた私に「券とって!」と主人は声をかけてきました。後部座席は買い物した荷物でいっぱいで動きづらく、さらにその時私は娘にミルクを作っていましたが、慌てて後部座席のドアを開けて高速の券を取りました。 すると後ろに並んでいたトラックから「プー!!」とクラクションを鳴らされて二人で焦ってしまい慌てて車を発進させました。 都市高速に入り主人と二人で「もう焦るよねぇ。」などと話しながら車を走らせていました。ふと気付くと財布がありません。「あれ?財布がない。」「え?!どこで落としたん?」「まさか、さっきの金剛の発券機のところで落としたんじゃない?」 よく考えてみると券を取った時、荷物を膝の上においていて、財布はドア側においていたような気がします。まさかドアを開けた拍子に財布が落ちてしまったのでは・・・? とにかくすぐに金剛のインターチェンジに電話をしました。ことの経緯を説明し探してくれるようにお願いをして、すぐに私たちも金剛のインターチェンジに向かいました。道路公団の方と合流をして金剛で探してもらいましたが、やはり財布はありませんでした。 財布を無くすと大変です。銀行やカード、免許証やポイントカート。各方面に連絡をしなければなりません。がっくりと肩を落として銀行などに電話をしながら岐路につきました。 家に着く前にやっぱり警察に紛失届を出しておいたほうがいいやろうと思い警察へ向かいました。警察に向かう途中、きっとお罰だねと主人と話しました。 実はこの日、毎日続けている朝参詣をさぼって遊びに出掛けてしまったのです。その反省のお懺悔をさせていただこうと主人と車体御本尊にお懺悔のお参りをしました。 すると警察署に着くちょっと前に知らない番号から電話がありました。電話に出て見ると下関警察からでした。「財布を落としませんでしたか?」「はい。落としました。」「こちらに届けられていますよ。取りに来られますか?」という確認の電話でした。うわぁー。とそこで、驚きとうれし涙です。すぐに下関に向かいました。 落とした財布を受け取る時に警察の方から「良かったねぇ。」と言われ、とても嬉しく思いました。警察から話を聞くと、金剛の発券機で券を取る時に、後続車のトラックから鳴らされたクラクションは、どうやら財布を落としたことを教えてくれていたみたいなのです。 さらにわざわざ警察に届けてくれていたのです。それにくわえ、御礼はいらないので連絡先は知らせないでほしいとのことだったのです。なんていい人に拾ってもらったんでしょうか。 これはきっとお参詣をさぼったことを、すぐにお懺悔がさせていただけたから、何も無くさずに無事に返ってきたんだと思いました。 本当に大きな御利益をいただきました。私は以前も盗まれたバックが無事に返ってきた御利益もいただきましたし、それ以外にもこれまでに大きな御利益を数々いただいております。これからもしっかりとご信心を家族でさせていただき、一人でも多くの方にこの素晴らしく有難いご信心をお伝えさせていただきたいと思っています。 ありがとうございます。

不輕寺・女性その3

辻ますみ(仮名)不輕寺(福岡県北九州市)

ありがとうございます。小倉北1連合2組の辻ますみといいます。 N君子さんから祖母が教化され、法灯相続3代目の信者で、Nさんの教化ひ孫にあたります。物心ついた時から、朝参詣はほぼ欠かさず毎日させていただいております。 今回はわたしが就職の内定を頂いた御利益を発表したいと思います。 私は今年就職活動をする年で、学校では4月に入るとすぐに、たくさんの企業の採用試験が始まります。私が1番行きたかった企業は4月の終わりに採用試験がありました。 しかし1番行きたかった企業にも関わらず、私は特に御祈願もせず、お助行もお願いしていませんでした。もちろん朝参詣は欠かさず行かせていただきましたが、開門である朝一番の6時のガンには間に合わず、15分の御法門にギリギリ間に合うか、それよりも遅れて御法門の途中に本堂にあがるような、だらけたお参詣になっていました。 その状態で採用試験に挑みましたが、うまくいくはずはありません。面接は緊張して思うように話せず、筆記試験ではわからない問題が多く、思うようには解けませんでした。 結果は当然不合格でした。しかし1番行きたかった企業なのに、あまり落ち込みはせず、次の企業で受かるだろうといった軽い気持ちでいました。 次に6月の始めに2社目の採用試験を受けに行きました。この企業は学校の先生がすすめてくれた企業でしたが、仕事は作業服を着た製造業で、自分のしたい仕事ではありませんでした。 しかし自分のクラスの友達がどんどん就職の内定をもらっている中で、わたしは自分のしたい仕事を探すよりも、どこでもいいから早く就職を決めたいという気持ちのほうが強くなっていました。ようやく青年会に就職成就の御助行を一度お願いしましたが、朝参詣は前と変わらずのだらけたお参詣でした。 結果、またしても試験は不合格でした。しかし1社目よりも面接や自分の研究のプレゼンテーションがわたしの中では完璧だったため、不合格の知らせを聞いたときはすごく落ち込み、なぜか自分自身を否定されたような気がして、丸2日学校も行かず家で引きこもっていました。 しかし色んな先生や友達に励ましてもらい、これではダメだと開き直ることができ、6月の終わりに3社目を受けました。 この企業は仕事内容的には1番やりたい仕事でした。ですから1社目や2社目よりも受かりたい!と思う気持ちが強く、朝参詣は毎日朝一番6時のガンに間に合うように行き、家での朝夕の夕方の御看経が全くできていなかったので、毎日家に帰ると最初に欠かさず5分間はお参りをするようにしました。そうして就職試験に臨みました。 その結果、信心改良のお計らいをいただけたのだと思います。キャノンマーケティングジャパンという企業に内定を頂きました。考えてみれば1社目、2社目よりも大企業に就職することができたのです。私の学校は工業系の学校のため、来る求人は主に作業服を着て行う製造業ですが、この企業はマーケティングの企業で主に工業の知識を活かした接客中心の仕事です。 1社目、2社目で就職が決まらなかったおかげで、だらけていた朝参詣に気持ちを引き締めて取り組め、開門参詣できるようになりました。また、朝夕の自宅の御看経を欠かさずさせていただこうと思うようになって、徐々に自宅での御看経が自分の日課になってまいりました。今回の就職をきっかけに改めて御看経の大事さを教えてもらうことができました。 この自宅の御看経はこれからも毎日欠かさずさせていただこうと思っています。今は5分間という短い時間ですが、少しずつ御看経の時間を長くしていくつもりです。 私が内定をもらった企業の本社は東京で、入社始めの研修は東京になりますが、配属が福岡勤務になるように、今御祈願をしています。やっぱり地元で働きたいですし、なんといっても不輕寺でこれからも御奉公がさせていただきたいと思っています。 毎日の朝参詣はもちろんですが、特に六時の開門参詣を心がけて、短い時間であっても、欠かさず自宅で御看経をさせていただて、友達などにもご信心をお勧めできたらと思っています。 ありがとうございます。

不輕寺・男性その1

溝口行紀(仮名)不輕寺(福岡県北九州市)

ありがとうございます。 登光師部 小倉北一連合 一組の溝口行紀と申します。 私の信行体験をご披露させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 私は今年の三月からご信心をさせていただくようになりました。まだご信者としての日は浅いですが、今日まで私が感得をさせていただいた御利益をお話させていただきたいと思います。 私と母はずいぶん前から教化親の高田芳美さんから、「不輕寺へお参詣しませんか?」とたびたび誘っていただいておりました。ところが、その頃僕と母は、在家宗教の妙智会教団という信仰をしていたので、なかなか不輕寺へお参詣をする機会がありませんでした。 ところが今年の2月24日に最愛の父が持病の心臓病で亡くなってしまったのです。母と二人で悲しみに暮れていました。 さらに父は亡くなってから、たびたび悲しい顔をして夢枕に立ちました。 妙智会教団で供養をしているのに、なぜ父がそんなに悲しい顔をしているのか不安でした。 そんな頃、母がやっているクリーニング店の確定申告の件で聞きたいことがあり、高田芳美さんにお電話をさせていただきました。そこで父が亡くなった事を伝えましたら、「一度お寺に来ませんか?」とお誘いをいただきました。 父が悲しい顔をしているのが気になっていた私と母は、父の為になるのならと思い高田芳美さんと待ち合わせて不輕寺へはじめてお参詣をしました。それは一番最初にお寺へ誘われてから、約3年たっていました。断っても諦めないで誘い続けてくれた高田芳美さんに本当に感謝しています。 お寺の本堂で初めて担当の西田登光師に会いました。登光師からいろいろとご信心の話を聞かせてもらいました。すると今まで僕は間違った事を学んで信じていたことに気づかされたのです。 そこで、私は是非入信させて頂きたいと思い、即入信書にサインしました。登光師のお話を聞いていますと、どこか引き込まれる感じがして、本当に正しい教えだ、おすがりすれば何か変わるかもしれないという気持ちになりました。そして、まず一週間の朝参詣から初めてみては?との事でしたので、次の日から、母と一緒に1週間の開門参詣をさせて頂く事になりました。 朝参詣をさせていただくようになって、いろいろな御利益をいただきました。父が亡くなって、いろんな手続きに追われていた私は、大好きな卓球をする時間がありませんでした。でも随分前に出場登録していた卓球の試合が目前に迫っていたのです。あまり練習できていなかったのですが、良い試合ができればと思って出場しました。ところが、その試合のシングルスA級でなんと優勝することができたのです。これはまさに現証の御利益だと思い、これからご信心を頑張っていくんだぞ。とご褒美をいただいたような気がしました。 また、私はそれまでしていた営業職を退職した際、次の良い仕事が見つかるように、一週間で百本祈願をさせてもらなさいと勧められました。一週間で百本を終わろうと思えば、朝から晩まで御題目をお唱えしないと終わりません。初めてで少しきつかったのですが、終わってみると、とても有り難くもう一度やりたいとさえ思えました。 すると退職後わずか二週間で今の職場に就職が決まりました。職場の先輩は気さくで毎日楽しく仕事ができるようになりました。これも本当にありがたい御利益のひとつです。 さらに悲しい顔をして夢枕に立っていた父は、母の夢に笑顔で出てきたのです。本当に父にご回向が届いているんだなと思いうれしく思いました。 私は、この御法にお出値いすることができ、心の不安がなくなり、自信をもつことができるようになりました。これからも御奉公、お参詣、お教化に精一杯ご信心に励みたいと思います。 ありがとうございます。

不輕寺・男性その2

大村 敬(仮名)不輕寺(福岡県北九州市)

結婚して今まで、4回連合総講(御導師御講)の願主にならせていただき、御導師様にお越しいただき、自宅でご奉修いただきました。その総講の際に頂いてきたご利益をご披露させて頂きます。 1回目の総講の際は、家を引っ越しできるという利益を頂きました。結婚してすぐに住んでいた家での総講でした。その家はけして広いとは言い難い家でした。しかし、総講は家で奉修した方が良いと組長さんにお聞きしていましたので、狭い家でしたが思い切って、初めての総講を取らせて頂きました。家が狭いため、お供養の時はテーブルも出せず、ご参詣頂いたご信者の皆さまに、膝の上でご供養を頂いてもらい申しわけなく思いました。 そして初めての総講は、組長さんのご指導のお陰もあり、無事終えることができました。するとその後、友人の紹介で、友人の両親が住んでいるマンションの上の階の部屋を借りる人を探しているのでどうかという話がありました。その頃、ちょうどもう少し広い家に引っ越せたらなとは思っていました。その家は、当時住んでいた家の倍以上の広さはあり、駐車場付きでしかも敷金等は必要なく、家賃も当時住んでいた家と同じでよいという好条件でした。まさにご利益でした。本当に無理なく広い家に引っ越せたのです。 2回目の総講は、新しい家に引っ越せた喜びとお礼も込めて願主にならせていただきました。その席で、大きな家に引っ越せた。という大きな御利益をご披露させていただきました。するとお導師様をはじめ大勢の方に、総講願主にならせてもらった功徳だね。ご利益が頂けて良かったね。と言って一緒になって喜んでくださいました。 すると、なんとこの総講から年が明けて、仕事の上で課長職に昇進し、それに伴い大幅な昇給というご利益をいただいたのです。もう本当に信じられないほどの幸せが、総講の願主にならせていただくたびにやってくるのです。 3回目の総講の際は、娘を授かるというご利益を頂きました。結婚して6年が経っておりましたが、妊娠の兆候もなく半ば子供のことは諦めていました。ところが、総講の願主にならせていただいた数ヵ月後に、なんと待望の赤ちゃんを授かっていることが分かったのです。もう本当に飛び上がるくらいに嬉しかったです。そこで出産に向けて妻と百本祈願をさせて頂き、無事娘が誕生するというご利益を頂きました。 4回目の総講は昨年、家を購入できるというご利益を頂きました。今の家に引っ越して、娘も生まれそろそろ将来の家をどうしようと考えている時期でもありました。そんな中、総講の願主にならせていただきました。すると数日後に住んでいる家の持ち主の方から、「今の家にずっと住む気があるのなら購入しませんか?」という話を頂いたのです。 確かに私の家は中古ですが、数年住んでみて場所も良く、通勤にも徒歩で行ける距離で特に不自由も無く気に入っていました。持ち主の方が売る気があったらいいなとは思っていました。 ただ購入ということになると、金額の面で不安なこともあります。そこで持ち主さんに相談すると、「じゃ。いくらだったら買うね?」と逆に聞かれて驚きました。相談の結果、月々の支払も今と変わりなく、頭金などは銀行で借りることができました。購入できたおかげで水回りのリフォームもすることができ、新しい年を迎えることとなりました。 このように総講の願主にならせていただくたびに、私達夫婦は大きなご利益を頂き続けご信心のありがたさを深く感じています。また、これまでいただいた我が家の御利益を、組長さんや、連合内の別の組長さんが、他の信者さんにも語ってくださり、それまで総講の願主になったことがないご信者が総講の願主になられたと聞いて大変うれしく思いました。 今回の御利益談発表によって、御導師を自宅にお招きしての総講の素晴らしさを多くのご信者さんにお伝えできれば本当にありがたくおもいます。 まだまだご信心に関して至らない点も多く、御恩返しもできていませんが、ご信心のことを知らない多くの方にこのご信心ご利益のことを、広め伝え教化できるように、これからも、信心改良、増進できるようがんばります。ありがとうございます。

清風寺・男性

古澤 淳司(仮名)清風寺(大阪府大阪市)

①息子が転落
私は吹田教区の古澤淳司と申します。今回、息子・悠司がいただいた御利益をご披露させていただきます。  平成二十二年七月十二日、この日は悠司や私達、家族にとって一生涯忘れることの出来ない・忘れてはいけない日となりました。  この日、私が所属する組の口唱会と御講があり、私は仕事を切り上げ御講席に向かい、組長さんと準備の御奉公をしていました。  御講師もお見えになり、口唱会が始まる直前に、私の携帯電話が鳴りました。悠司の通う中学校からの電話で、内容は「学校の四階の窓から転落し、救急車で病院に運ばれた」というもので、私は一瞬理解が出来ず何度も同じことを聞き直すほど頭が混乱してしまいました。  すぐに御講師に事故のことを伝え病院に駆けつけました。病院に着くと悠司は検査に入っていました、そして、約一時間後にようやく医師からの説明を受けることが出来ました。 ②転重軽受
あまりにも軽傷だったので、医師が不思議に思い、何度も検査を行ったので時間がかかったとのことでした。結果は「両手首と腰部分の軟骨亀裂骨折」と説明があり「脳や内臓、脊髄には全く異常は見られない」とのことでした。  結果を聞いて安心はしたものの、地上十四メートルからの転落事故だったので、本当に骨折以外に何もないのかどうか何度も確認し、医師の方達も「これは奇跡ですね」と驚かれていました。  悠司はそのまま入院となったのですが、今回このような軽い怪我で済むことが出来たのは、全てが御宝前からのお計らいによるものだったのだと思います。  普通、人が転落する時は、重い頭から落ちると医師から説明があったのですが、悠司はお尻から地面に衝突しており、また、転落した窓の下にだけ花壇があり、重ねて前夜の大雨で土がぬかるんでいたので、軽傷で済んだそうです。  隣の窓であったり、前日に雨が降っていなければどうなっていたかわかりません。 ③家族の絆
そして何より、責任御講師、補助御講師、信者さんによるお助行で助けていただけました。口唱会を急遽、お助行に変更して下さり、烈火の如くの御題目口唱、御講師の「悠司の命を助けて下さい」という祈願言上、「これまで私が積ませていただいた功徳を悠司君に」と言ってくれた方、みんな涙ながらにお看経をしてくださりました。  事故の翌日には、手首の手術も無事に終えることができ、驚くことに十日間程で退院、その日が開導会一日目で、家族揃って御礼の参詣をさせていただくことが出来ました。  今回の事故で私達は、「転重軽受」のお計らいをいただけた以外にも、たくさんのことに気づかせていただけました。家族の絆の素晴らしさ、ご信心の大切さ、このご信心に私たち凡夫の理屈は必要無いということなどを。  しっかりとご信心に気張らせていただけば、命をも救って下さるのです。 ④これからは
事故後、たくさんの方からメールを頂きました。ある信者さんから「悠司君は事故の時、御宝前にしっかりと護られて着地させていただけた。きっと下で待って受け止めていただいたのですよ」とメールをいただきました。本当にそうだと思いました。  これからは私たち家族は七月十二日を「御信心改良の日」として、どんなことがあっても御宝前からのお護り・、お喜びがいただけるよう報恩の御奉公に励ませていただく所存です。

清風寺・女性

中島 聖子(仮名)清風寺(大阪府大阪市)

①信心改良
昨年四月二十九日の立教開宗記念日。終日報恩口唱会の直後に、我ながら驚嘆した現証御利益をいただきました。  私は普段から敏感肌で季節の変わり目などは肌が荒れているのですが、特に口唱会の4、5日前から顔の肌の乾燥がひどく、鏡を見ることが本当に出来ないほどの人相になっていました。  正直、直接の原因がわからず、皮膚科に見てもらうのも恥ずかしく、本当に悩んでいました。  そこで私は何故か家の御宝前に今までの信心懈怠のお懺悔言上をさせていただき、お供水を化粧水がわりに顔にいただくことを始めていました。  はっきり申しまして変化は感じられませんでしたが、思えば御宝前にお縋りしてみようと強く感じたのもこの時が初めてでした。 ②立教開宗記念日
口唱会当日、相変わらず顔の症状は悪く、普段の私なら「今回は行かない」と平然というところなのですが、この日はどういう訳か(今日行かなければ絶対に後悔する!)と強く思い、顔には眼鏡とマスクを着用し、人目に解らないようにしてお寺にお参詣させていただきました。  本堂に入り、二人の子供に「お母さんは真剣にお看経するから!ちょっとうるさいよ」と宣言をして、大勢のご信者さんのなかで(私が一番大声なのでは?)と思うほど、一心不乱に(助けてください!)とお看経をあげさせていただきました。 ③口唱でいただいた功徳
都合で一時間ほどの口唱でしたが、声が嗄れ、それでもいつもと違う達成感がある口唱会でした。再びマスクと眼鏡を着けて早々に本堂を後にし駐車場へ向かいました。  車に乗り、運転のためマスクと眼鏡をはずしバックミラーで何気なく自分の顔を見たときびっくりしたのです。一時間前の顔と一時間後の顔が激変していたのです。顔の赤みも目の腫れも痒みもすべて消えて、以前の私の顔がミラーに映っていました。「え~~~!!??」と何度叫んだか解りません。 ④これから
確かなのはお寺で一生懸命お看経をさせていただいたら顔が治っていたということです。あまりにも解りやすい御利益に、ただただ驚くと同時に(お看経の力ってすごい!)と実感した日でした。そして結婚を機に入信して十数年経ちますが、改めて(本門佛立宗ってすごい!)と強く思えるようになりました。  これからも油断をせず、口唱行に励み、下種結縁、お教化へと繋がるように、日々のご奉公を頑張らせていただきたいと思います。

光道寺・女性

宮田 恵美(仮名)光道寺(佐賀県鳥栖市)

ありがとうございます。第10支庁 北九州布教区 光道寺所属 宮田恵美と申します。 私が、仕事で東京に上京してからのことをお話させて頂きます。 私が上京した際には、当山御住職様ご夫妻にご本尊様をおともして頂き、おまつりをして頂きました。 私は美容師の仕事に就き、日々時間に追われる生活を送っていました。 それまで、受験や就職、色んな節目の時期にご利益を頂き、ご信心のありがたさはわかっておりましたが、上京してすぐの頃は、お寺参詣も休みの日に行かせて頂く程度、家でのお看経も短時間しかあがっていませんでした。 しかし、数年前、親友が結核になり、数値が1~10まであるなかで10と一番高く、とにかく健康のお計らいを頂く為には「お供水さん」しかないと思い、お寺から病院まで一時間半かかる距離でしたが、とにかく早く治ってほしいという思いで届けさせて頂き、沢山頂いてもらいました。 病院の先生のお話では、半年入院と言われていましたが、お陰様で一ヶ月半で退院し、先生もとても驚かれていました。 彼は精神的にも不安定でしたが、無事に仕事復帰もでき、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。 又、感染症の為、一緒に働いていた職場の人達も全員検査を受けましたが、私も含め誰もうつっておらず、本当に大きなお計らいを頂きました。 そして、退院後、一緒に乗泉寺へお礼参詣をさせて頂きました。 又、同時期に仲良くして頂いてた先輩の旦那様が血液がんになられ、その際も「お供水さん」をお勧めしたのですが、旦那様のご実家が浄土宗をしておられたので、始めはなかなか受け入れてもらえませんでした。 しかし、先輩に色んな方々の体験談やご信心のありがたさ、本当に助かってほしいという思いを伝え続けたら『いつもありがとう』と言ってくださり、旦那様も「お供水さん」を頂いてくださるようになりました。 そして、今でも長期にわたって順調に治療が進んでおります。 本当に「お供水さん」のありがたい現証のご利益を感得させて頂きました。 又、私自身、信心改良・お寺参詣に精進させて頂く大きなきっかけとなりました。 しかし、数年前、親友が結核になり、数値が1~10まであるなかで10と一番高く、とにかく健康のお計らいを頂く為には「お供水さん」しかないと思い、お寺から病院まで一時間半かかる距離でしたが、とにかく早く治ってほしいという思いで届けさせて頂き、沢山頂いてもらいました。 病院の先生のお話では、半年入院と言われていましたが、お陰様で一ヶ月半で退院し、先生もとても驚かれていました。 彼は精神的にも不安定でしたが、無事に仕事復帰もでき、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。 又、感染症の為、一緒に働いていた職場の人達も全員検査を受けましたが、私も含め誰もうつっておらず、本当に大きなお計らいを頂きました。 そして、退院後、一緒に乗泉寺へお礼参詣をさせて頂きました。 又、同時期に仲良くして頂いてた先輩の旦那様が血液がんになられ、その際も「お供水さん」をお勧めしたのですが、旦那様のご実家が浄土宗をしておられたので、始めはなかなか受け入れてもらえませんでした。 しかし、先輩に色んな方々の体験談やご信心のありがたさ、本当に助かってほしいという思いを伝え続けたら『いつもありがとう』と言ってくださり、旦那様も「お供水さん」を頂いてくださるようになりました。 そして、今でも長期にわたって順調に治療が進んでおります。 本当に「お供水さん」のありがたい現証のご利益を感得させて頂きました。 又、私自身、信心改良・お寺参詣に精進させて頂く大きなきっかけとなりました。 その後、開門参詣をさせて頂いてる時期に職場の後輩二人が、それぞれ違った家庭問題を抱えており、何度か一緒にお寺参詣をさせて頂きました。 二人とも自然にお題目をあげてくれて凄く嬉しかったです。 そして、なんとか家族が幸せになってほしいという思いで百本祈願を発願させて頂きました。 その際には、乗泉寺のお教務様、ご信者さんに支えて頂き、感謝の気持ちでいっぱいでした。 無事、百本祈願を成就させて頂き、改めて、みんなが幸せになるためにご信心をお広めさせて頂きたいと強く感じました。 又、私自身、ご法様に近づけたこと、周りの人が笑顔になることが自分の喜びになることを感得させて頂きました。 そして、先日、東京に行く機会があり、後輩達に会って今の状況を聞きました。 Aさんは、お母さんの足が不随の病気で歩くのも大変といった状態でしたが、最近は、リハビリも順調でだいぶ歩く辛さもなくなってきましたと言っており、Mさんのお母さんは精神的に病を抱えられておりましたが、今はだいぶ落ち着いていますと言っておりました。 しかし、二人とも、共通して家族間の会話がないこと、両親の夫婦間の問題などがありましたので、とにかくなにかあったときには「南無妙法蓮華経」と心の中だけでもいいから唱えさせて頂いてね…と伝えました。 今後も、下種させて頂いた方々に連絡を取り、お寺参詣をお勧めしていきたいと思います。 そして、私自身このご信心にお出会いできたことを両親に感謝し、これからも、人助けのご弘通・ご奉公に気張らせて頂きます。 ありがとうございました。

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